独り言
馬鹿です。
また1台増えてしまいました。
これ以上増えないと思っていたのに。
もう増えないだろう、絶対、多分・・・・・・・・・・・・・・・・

私のバイクライフもご多分に漏れず16歳で免許を手にした時にH1マッハV(500ss)に始まりました。
それ以前はバイクライフとは云えませんので・・・・・・・・・・・・・・
当時は自動二輪免許の時代、排気量に関係なくヘルメットも無しにどんなバイクにも乗れました。
車と平行しながら緩やかにバイクと関わっていた時代が10年ほど続いたでしょうか。
30歳を前に再び目覚めてしまいました。
あれから既に20うん年、数えれば36年飽きもせずに乗り続けています。
あと何年バイクに乗っていられるだろうか。
最後に乗っているバイクは何に成るのだろう。
本物のMotorcycleに乗っていたい。
Motorcycleと書くくらいだから英国車しか念頭には無いのかな、笑

バイクでも単車でも二輪車でも呼び方に特に拘りありません。
只、オートバイと云う呼び方は好きではありません。
Auto+Bicycleの造語らしいのですが、いかにも中途半端で。
バイク(Bike)は自転車も含んでの呼称ですから、モーターバイク(Motorbike)と呼んだ方が良いのでしょうが。

憧れは何?、行き着く先は・・・・・・Norton International かな?
これでは、昔のCMでいけば「いつかはクラウン」、笑

カローラ コロナ そしてクラウン 最終に乗りたい車のようです。
私は、どの車も乗ったことはありません。
18歳で免許を取得し最初に買ったのはホンダ1300GTL 4キャブ 115ps、通称クーペ9でした。
バイクも車も最初から新車、中古車を買うと云う概念がまるでありませんでした。
2台目に選んだ四輪はハードトップ(死語)、2代目MARKU2000 GSS DOHC 145ps 5速 でした。
何時の頃からか欧州へ、MG、VW、Audi・・・・・・・・・
現在は2台目のVolvo V70 ターボ付きです。
性格でしょうかね、昔から速いのが好きなんです。
今ではAT車しか選択しません、ツーリングカーですから、笑

いつかはクラウンは無いようです。
行き着く先が無くなったトヨタは新ブランドのレクサスを立ち上げたらしい。
でも日本の車はブランドには成らないでしょう。
欧州の車は文化としての車です。
日本の車は産業としての車、太刀打ちできるはずがありません。

何処かに日本の車は荷車の延長線、欧州の車は馬車の延長とも書いた気がします。
確かに欧州でも日本車も売れています。
売れてはいますがセカンドカーとして、お買い物、子供の送り迎え・・・・・・
壊れない、燃費が良い・・・・日本での軽自動車と同じ扱いとしての受け入れられ方ですかね。
欧米には長期バカンス等がありそのライフスタイルからステーションワゴンが好まれています。
日本でステイションワゴンが発売された当初はバンと同じ扱いでした。
実際に商用車に毛が生えた程度、とてもワゴンと呼べる代物ではありませんでした。
軽自動車の貨物と乗用の違いは後部座席の位置、僅か数cmの差でしかありませんでした。

バイクはどうなのでしょう。
やはり文化としての欧州のバイクと産業としての日本でのバイク造りの差は歴然です。

バイクが鉄の馬と称されたのは英国のバイクでした。
サラブレッドを意識してのバイクでした。
日本のバイクは鉄の牛、仕事をする為の実用車として発展してきました。

エンジンの爆発は鼓動にもよく例えられます。
乗馬して伝わるサラブレッドの鼓動をシングルエンジンの鼓動に感じた鉄の馬ならではですね。
馬の鼓動に同期する自身の鼓動も楽しんでいたのでしょう。
一分間に400、500回と爆発するエンジンに同期するはずも無いのですが乗馬を文化とする現われでしょう。
多気筒にはない、単気筒の世界でしか味わえない究極の表現ですね。

英国にも鉄の牛、実用車は存在します。
超ロングストロークのNorton ES2のようなワーキング・シングルでしょう。
この分野は独逸車のほうが多いですが。
英国も初期の頃にはベルギー、フランス製のエンジンの供給を受けていました。
後にはメジャーなJAP製のエンジンが主になっています。
JAP(ジャップ)、日本人には抵抗の有る名称ですが。

一時期の英国車も造りが非常に良く似ています。
世界大戦の軍事統制により各社のパーツの共通化が計られたことにも由ります。
エンジンは実質2人のエンジニアにより設計されたと云っても過言ではありません。
英国の各メーカーを渡り歩き設計したのですから似ていると言うよりそのものとも言えます。

当時の日本には、二輪のメーカーは僅かなものでした。
街を走るバイクのほとんどが外国製、国産は目黒、宮田程度でした。
BSA、Triumph、Velocette・・・その殆どを欧州のバイクに締められていました。
と言っても私のローカルでは圧倒的にメグロでした。
甲信メグロが我町にあり、山梨(甲斐、甲州)、長野(信濃、信州)へのメグロの販売拠点となっていました。
その後日本でも黎明期を経てメーカーの乱立時代に入っていきました、実用車として。

どの産業でもそうであるように、コピーの時代でした。
手本は当時の日本の30年は先を行っていた英国車、欧州車です。
機関だけに留まらずスポーク本数まで。
独逸車を手本としたホンダ、ヤマハは36本、英国車を手本としたメグロ他は40本、なんともです。
BMWをネジ1本まで忠実にコピーしたDSK自動車工業のコピー技術は最高でした。
DSK A50 4サイクル2気筒OHVフラットツインは本家のエンジニアを唸らせた程の出来でした。

現在技術だけで世界を席巻している日本車。
マン島TTで英国車を打ち破った伊国車のように環境、自然も文化と捉える欧州車に打ちのめされる日が来るのだろう。
オットーエンジンが通用しなくなるその日がくれば・・・・・・・・

16歳の時のマッハVに始まったバイクライフ。
有鉛ガソリンが\50-の時代です。
クレームの付いたCB400Fのキャッチコピーに「お前は風だ・・」なんてありました。
風に成るような走り方は危険とのような趣旨だったと記憶していますが、なんとも感性のないお役所、文化です。
風といえばカペラロータリーのために開発された12Aロータリーエンジン、「風のカペラ」の愛称がありました。
二輪は危ないけれど4輪は良いようです、発想が貧困ですね。

モービル石油のCMで流れていた、「気楽に行こう」、惜しくも亡くなってしまった鈴木ヒロミツさん。
ひたすら車を 押していました。
小川ローザさんのパンチラCMは丸善石油でしたか。
モーレツ時代の中で新鮮でしたね。
図らずも私が18歳で4輪の免許を取得した年です。
「気楽に行こう」はS48.1月発売、普通車の免許はS48.2月に頂いていますのでリアルタイムですね。
「車はガソリンで動くのです」、も既にバイオエタノール、燃料電池で動きはじめています。


三宅島オートバイレース計画も公道レースは見直されクローズドコースでの開催になってしまうようです。

モータースポーツは日本では根付かない、文化には成りえないものなのでしょうか。

いつかバイクが文化として花開く日が来れば良いのですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


残りの人生、気楽に行こう!

たどりついたらいつも雨降り、か

たどり着かないでおこう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後に乗っていたい Motorcycle