独り言
仕事柄いつも機械、コンピュータを相手にしている。
今はスキーでリフト、ゴンドラで夏山はロープウエーでしか山には登らない。
若かりし頃は南、中央、北アルプスと自分の足で登っていた、近くの八ヶ岳にもよく登った。
自然も含めてこんな物との人間の付き合い方は一方的なのだろうか。

氷が解けると何になるの問いに「水になる」と答えるか「春になる」と答えるかそんな違いでしょうか。

鳥が電線に止まって、なぜ落ちないのかという問いに対する一般的なレポートは、重心の話となるであろう。
仕事がら私も基本的にはそんな物理のレポートで「優」をもらうだろう。
でも鳥は飛べるんです、「鳥は落ちても飛べばいい」だけなのかもしれません。
落ちたらどうしようでは電線に止まれません。
落ちても対処ができるから止まっていられるのだと思いますね。

バイクが何故走れるかの問いに「ブレーキがあるから」と答える私のサイトですから。

いつか聞いたロボットの講演で、森氏は物と人間の付き合い方は、「内側の問題」であると。
「内側の問題」とは、外界を捉える人間の側の問題だ、と言っていた。
内側の問題つまり、考え方次第ということでしょう。
あらゆる物は役に立たないのではなく、役立てることができないだけなのです。
大昔はあらゆる物が役に立ちませんでした。
石器時代に役に立ったのは石であり火であり・・・・けして電気ではありませんでした。
当初役に立たなかったものを人間が役に立ててきたのです。
物を先生として学び人間が育つことができたのです。
まあ、役に立つ立たないは人間の勝手な言い分なのですが。

ネジの1本がどんな役に立っているのかが解かればそのことによって、ドアの閉め方まで変わってきます。
どこをどう動かすと壊れやすいのかということが分かってきます。つまり、内側が変わってくるのです。
部品1つ1つが役に立つということが分れば、役に立たない物などないのだということが学べます。
人は道具(機械に)何を求めるか、人にはできないことを求めているのでしょう。

所詮、機械だから・・・・・・・・・・・・
そんな方は内側から見直したほうがよろしいかと・・・・

では、人間は他人に何を求めるか。自分にもできるけど自分はしたくないことを求めている。
自分ができないことを他人にお願いする場合は、職業に帰属させて済ましている。

人間の話は止めましょう、難しすぎます、電気屋、機械屋ですから。

日本人はロボットに対して特別な感情を持っている、そう考えているのは私だけだろうか。
いつも私が相手をしている産業機器としてのロボットは置いておいて、なぜ2足歩行なのだろう。
やはり「鉄腕アトム」を見て育ったから!?、無条件に2足歩行を求めている。
鉄人28号もあるし・・・・・・・・・・
諸外国にはそんなことは無い、一部の機能を取り出した専用ロボットを目指している。

「なぜ2足歩行なのか」、「車輪で十分だろ」という考え方もある。
健常者と車椅子との自由、不自由を考えれば自ずと答えは出る。
他の動物のように4足のほうが安定しているとも思える。
しかし実際に四つんばいで歩いてみれば、これも自ずと分ってくる。

究極はその動きだろう。
人間と同じ動きを求めていくと最後はその表情となる。
一時期、不気味の谷 と呼ばれるところに陥っていた。
引きつった笑い、その合成された言葉と裏腹な表情・・・・・・・・・・・・・・
とても怖い、他の動きが人間に似れば似るほどその表情は不気味な物となる。
長い間そこから抜け出せずに、これが不気味の谷と呼ばれていました。

エイリアンのアンドロイドのビショップ、そしてターミネータを目指しているのか・・・・・・・・・
コンピュータはHALをスカイネットを目指すのか・・・・・・・・・・・・・

私のプロジェクトの一つに匠の技のData化がある、いやあった。
後継者もいないその技をData化し後世に残そうとするものである。
嫌がる匠の体中、関節という関節にセンサーを取り付けてもらう。
この状態で何台ものビデオカメラのまわる中、いつもの仕事をしてもらうのである。
匠と呼ばれるのは皆、高年齢者早い話がお年寄りである。

こんなのは無理難題である、しかし無理と思ったらその時点で終わり、何にも出来ません。
まずはお友達にならなければ・・・・・・・・・・・・
まあ、一緒にお茶を飲んで一日が終わる。
とは言っても年齢差が有りすぎ話題探しには苦労した、あるときから話題探しは止めにした。
ひたすらお話を聞く。
いろんなお話を聞いた、そしてこのプロジェクトの失敗を確信した。
某機関に頭を下げに行かねばならない・・・・・・・・・・・・・・・・・

この時にはさすがに思った、「所詮、・・・・・・・」越えられない。
多分このまま続づければ匠の作ったコピー品作ることは可能だろう。
ただそれだけのこと。

何かが違う。
機械に求める物、人間に出来ない事を実現するのが機械なのだから。
人間のほうが優れている事を、わざわざ機械に置き換える事は無い。

所詮、機械・・・と言う時の言葉は逆に人間が機械に求めている愛情なのか?
自分に出来ない事を機械も出来なかった安心感なのか?

期待、信頼を機械に裏切られた時の表現なのかもしれない。
所詮、機械だから・・・・・・・