Porlogue


TRITON です。

このストリートカフェの写真を見たとき衝撃を受けました。

ノートンのフェザーベッドフレームにトライアンフのOHVのバーチカルツインのエンジンを積んだトライトン。

忘れかけていた何かに火が付きました!

マン島TT、大好きです。

マンクス ノートン 30M 憧れですね。




ネコ・パブリシング 通称ネコ本です、偶然入ったコンビニで思わず買いました。

あのマッシモの名前をつけた、’96 J’Tipo4月号増刊です。

この一冊の本を手にした時から、私の旧車生活が始まりました。

次号も買いましたが、それ以後見かけませんでした。

ただ特集記事、ポンコツDX?の記事がモトメンテナンスで引き継がれていたところを見ますと廃刊になったのではないかと思います。




もう一枚の写真です、W1ですね。

レストアショップフカイさんが手がけた、W1のカスタムです。

1996 Nov.のClubmanです。

サブタイトルは カスタムの持つ意味、はおるべきもの、まとうべきもの




MOTO MANTENANCE と Old timerの創刊号です。

一番の影響を受けたのはモトメンテナンスですね。

オールドターマーにはレストアに魅せられた彼らの熱い思いを感じました。

モトメンテナンス、オールドタイマー、そしてガレージライフも私のレストア馬鹿、ガレージ建設に大きな影響を与えております。




2005 9/7 モトメンテナンスさんの取材を受けました。

私に旧車生活を始めさせた張本人です。

レストア馬鹿のやっている事を認めて頂くことは嬉しいですね。

62号にチョットだけ、63号はガレージ特集のNo001に掲載されています。

機会がございましたら覗いてみてください。

モトメンテナンス INDEX 8 ガレージが欲しい!! No.21にも載っています。


幼少期

小学生の頃、当時は子供用自転車はあまり無く、大人用の自転車を三角乗り?していました。
大人用の実用自転車です、フレームが三角のものです。
小さい子供ですから足が届きませんので、フレームの間から片足を入れてペダルを漕ぐのです。
自転車を向こうに倒し自分はハングオン?、リーンインみたいな乗り方です。
よくあれで乗れたなと思うくらいです。

買ってもらった自転車、次の日には形がありませんでした。
そう、バラバラにしてしまいました。
工具といっても、マイナスドラーバ、ペンチ、モンキー、それに金鎚くらいしかありませんでしたが。
もちろん元へは戻りませんでした。

無理して買ってくれたんだと思いますが、すみません。
今の私への先行投資と言う事で・・・・

何にでも興味があるころ。
時計も不思議で成りませんでした。

と云う訳で当然のごとくバラバラです。
家中の時計を全て、と言っても3個ですが暫くの間我が家は時計の無い生活が続きました。
ゼンマイ、ギア・・・・どれをとっても、不思議なものばかり。

この頃、夢中になっていたのはラジオと模型です。
初めてのラジオは、ゲルマニュームラジオでした。
なにか本の付録だったような、今で言う学研みたいな雑誌だったと思います。

これが余り良く聞こえません。
アンテナとして、家庭の100Vのコンセントの片側に差し込んでイヤホーンで聞くんです。
2本の内、1本は接地線ですがら、あまり良くは聞こえません。

ある日、思いつきました!
片側より両側に入れたらもっと良く聞こえるのではないかと。
拾ってきた銅線(当時はあかと呼んでいました、色からでしょう)をVの字に曲げ、そこにゲルマニュームラジオのアンテナ線を繋ぎ、・・・・・・

耳にはイヤホーンを挿し込み、ようし!とばかりにコンセントに差し込みました。
当然、ショートです!

アンテナ線から火花が飛び、そして耳元のイヤホーンコードまで一気に燃え上がりました!!!

私は訳が解からないままボーゼン、声も出ませんでした。
小学3年生の頃だったと思います。

こんな事ではくじけません、多少の知識を得て裏の柿木にアンテナとしてエナメル線(これもどこかのトランスをバラシタ物)を張り巡らし楽しんでおりました。

我が家にTVがやって来たのもそんな頃’63頃でしょうか、東京オリンピックの前の年くらいだったと思います。

ラジオで中に人が入っていない事は知っておりましたがなんとも不思議でした。
FAXが出始めの頃、「何度送っても戻ってきてしまう」と言った人を身近に感じておりますが・・・・郵便じゃないよ!?

中学生になり夢中になっていたのは、ラジオ、アンプ作り、そして無線通信。
トランジスターもありましたが、真空管のほうが多かったです。

トランシーバのCB無線に始まり、アマチュア無線に。
ラジコンの無線機を作り、イザ諏訪湖へ。

ラジコンをやりに・・・・・・、ラジコンを落としに?
諏訪湖では、船、飛行機のラジコンを楽しんでいる方が大勢いました。

出力を上げてありますから、本人より飛ぶんです!
ハイジャック、シージャックよろしく、他人のラジコンで遊んでいました。

すみません!、申し訳ありません!

あなたの飛行機、落としたの私です、ごめんなさい。

とんでもない幼少時代を送っていました。


青年期

その後、アマチュア無線にも没頭し、1級アマチュア無線技師を取り出力500Wへ。
その頃、諏訪の放送局でも出力100Wでした。

許可されていない、周波数帯へのチャレンジ?、そして出力。
高周波で、蛍光菅が付くことを知ったのもこの頃です。

すごく危ないです、目が見えなくなります。

電子レンジの中にいるようなものですから。

当時そこまでの認識は無く遊んでおりました。

18、9歳ころになると、マイコン(死語です)、今で言うパーソナルコンピュータです。
無線にマイコン、一頃流行ったお宅ですね?
まだ完成されたコンピュータは無くアップルがガレージで手作りしていた頃です。
私もICを買い込み基板に組んでは裏側からIC等の足をワイヤーラッピングしていました。
アマチュア無線用にと、モールス信号の解読器(化け字が多くて使い物にはなりませんでしたが)を作ったり、RTTY(テレタイプ)、ATV(アマチュア テレビジョン)をやったりと電気漬けの毎日でした。

そんな頃、NEC(日本電気)からTK80と云うワンボードマイコンが発売されました。
アップル、コモドールと立て続けに発売されました、コモドール欲しかったです。
当時、NECの方と電話を掛けてはああだ、こーだ・・・・と頻繁に情報交換しておりました。
アマチュアもプロもあまり技術差?も無く思考錯誤しておりましたし、メーカーも回路図等を公表というより取説に付けておりました。
メモリーマップもあり、メーカーで使用していない部分のメモリーを勝手に使っていた頃です。
この頃、仲良くなったNECの技術者とも今でも交流しております。
私も、PC8001が発売された時には買ってしまいました。
8ビット、クロック6MHzです、今は3Gz以上、500倍を超えております。

始めたころは、マシン語(数字だけでプログラムを書く)、実際言語ではなく数字の羅列ですが。
ベイシック、ニーモニック、コボル、フォートラン、いろんな言語でやっておりました。
モニターもカラーではなくグリーンモニターです。
今でもたまに見かけると、懐かしくて涙がでます!?

現在でも私の仕事なのですが、息子たちは親父はいつも遊んでいる、TVゲームを毎日やっていると思っていたようです。
実際、パックマンなんか作って遊んでいましたが・・・・・・

ドラフター(’85くらいから、CADになりました)で図面を書いていても、お絵かきにしか見えなかったようです。
CAD用のコンピュータはハイレゾ(死語です)仕様、32ビット、クロック16MHzとっても早い!?、当時は。
価格も80万位でした、CADソフトは200万円くらい、その他プロッター等、今ではとても考えられないくらいの値段です。
その上、まあ今でもですが半年ごとにニューーモデル、価格も下がり続けました。
HD(ハードディスク)もとっても高かったです。
40MB(GBの間違いではないです)で、40万円位しました、1MB=1万円です。
当時、120GBがあったなら、12億円です。
HDを最初に使ったときには感激しました、信じられないくらいのスピードです。

始めた’74頃は、テープレコーダーへの記録でしたから、「ピー・・ギャラギャラギャラ・・・・」の300B(ボー)の転送スピードです。
FD(フロッピーディスク)になったときにも感激いたしましたが、HDのショックは凄かったです。
もう30年も前の事です。

趣味の延長でそのまま仕事にしてしまいました。
ロジック設計からソフトウエア、メカ設計へと、もう歳なので付いていけません!
自作PCから組み立てPCへ、そしてここ10年くらいはDellの愛好者になっています。


な訳でEND・・・・

でもメモリーの劣化の前にもう少しデジタル変換しておきましょう。

こんな頃、もう一つ興味を持ってやっていたのがエネルギー?、風力発電です。
コンピューターにクリーンエネルギー、なんて時代を先行した趣味でしょう、先見の銘があるかな?・・・・
時代が私に付いてきている?なんて能天気な私は勝手に思っております・・・・

一番最初は模型に使っている、マブチモーター、これにまた模型飛行機のプロペラをつけて扇風機で廻しました。
豆電球がポーと点きます、(扇風機のエネルギーは考えていません、あくまで能天気です)
まんま、飛行機に付けて走り回ります、何の役にも立ちません。

走り回ってもしょうがありませんから、屋外の風を使いましょう、発想は結構普通です。
最初は自転車のダイナモで始めました。
これに木を削ってプロペラを作りアマチュア無線用に建てた20mの鉄塔に取り付けてみました。
おお^・・・いけるかも。

この時のプロペラは直径30cmくらいと小さかった物ですから、大きな問題は発生していませんでした。
気をよくしてもっと大きなものをと、今度は車のダイナモ、いやオルタネターを解体屋さんから仕入れてきました。
プロペラも直径120cmと大きくして、ルンルンです。
架台は近くの鉄工所(小さなときから、あの青い火花を見ていました、今はありません)でCチャンで作って頂き早速試験です。
欲を欠いて、15mくらいのところへ取り付けました。

難しいです、風がありませんと勿論プロペラは回りません。
わずかな風でも廻るようにとプロペラを作ると強い風が吹くと地鳴りのような音でとても怖くていられません。
逆に高速型にすると、ちっとも廻ってくれず発電しません。
何度作りなおしたことか。
飛行機のように可変にするには大がかりになりすぎて、現実性がありません。
思考錯誤です、現在のようにインターネットで情報がとれる時代ではありませんので図書館通いです。

大した資料も見つけられずにいたところ、風で倒れている塀を見かけました。
おお^^・・これだ!、 スズキのコレダと一緒か・・・
倒れている塀はその後どんなに風が吹いても倒れません、当たり前ですが。
倒れれば良いんだ!、でウエイトを付ける事に。
ヤジロベイのように、強い風を受けると、プロペラが上を向くんです、ウエイトを加減することで風を逃がしながら発電する。
おお^最高・・・・・・・・自画自賛です。
これで強い風が吹いても、ゆっくり寝られる。
作った電気はバッテリーに貯め、自作のインバーターでAC100Vに変換して使っていました。

3ヶ月くらいで、また問題発生!
すごい音と共に架台から揺れています。

プロペラのバランスが崩れたようです。
左右のバランスは取ってはいますが、雨等でプロペラが水分を吸い捻れ角度が変わったようです。
手作りのプロペラですから元々そんなに精度があるわけでは無いですし、一応対策としてペンキで塗装して有ったのですが・・・・・・・
当時の戦闘機のプロペラの研究?に博物館へ、あ、そう、なるほど・・・・・・・・・
板を何層にも重ね合わせてあります、これで変形を防いでいるようです、材質もとても硬いです。
私は加工性を優先でしたから、ラワン材(当時は一般的な材料)で作ってありましたから目も粗く水分を良く吸収しそうな感じです。
木工用の接着剤しか思いつかないので、閃くまで方向転換です。

こんどは、電波発電?、え何それ?、私が勝手に付けた名前です。
風と同じで目には見えないけれど地上を無数に飛び交う無線の電波、これ使おう!・・・・・・
N*Kに受信料払わなくてもいいかな?なんて思いながら・・・・・・・・・

大失敗?です、一応電気は作れました。
只、その電気を作るのに多大な電気を消費するのです。
ゲルマニューム等でいけば・・・・・・・
まあ今の太陽電池、太陽光発電と同じです。
光も電磁波ですから、これも当初の変換効率は数%でしたからね。

次は何、あくまで無料クリーンエネルギーを目指します。
水発電、これも私の勝手なネーミングです。
水力発電では有りません、近くに川もありませんし。
雨水溜める事も考えましたが・・・・・・・・・

水発電は、今で言う水素電池です。
数学と物理、好きでした。

水の電気分解、これです。
電気分解ができるのなら、逆も出来るのでは?
水素と酸素を一緒にしたら電気が起こる、・・・・・・・・起きました、本当に。
とは言っても、簡単に水素、酸素が手に入るわけでは有りません。
馬鹿ですから、最初に水を電気分解して水素と酸素に分けます。
これを使って電気を作って遊んでいました。
何にもなりません、これでは電波発電と同じです、効率無視・・・・・・。
実際には、直接変換ではありません。
結局の所、酸化還元、ゾルゲル法等色々な反応の組み合わせです。

これ、いま役立っています、当社の企業秘密?ですから、特許取れていますから良いんですけど。
電波発電?、これも役立っています、電磁波シールドの技術として生きています。

究極は自分で作ったエネルギーでバイクを走らせること。
デロリアンのようにバナナの皮?、ゴミで走るかも・・・・・・・・・・・・・



そして今は・・・・こんなオヤジになりました。



16歳になったら自動二輪免許を取りバイクに乗るのが国民の義務?だと思っていました。
18歳で車の免許を取り、20歳で大型自動車、21歳で普通2種免許と、国民の義務をまっとうしてきました。
無事故、無検挙で20ウン年・・・・あと何年乗れますかね。

当然、国民の4大義務?ですから息子たちにも16歳で中型二輪免許を取得させました。
今の普通二輪の免許です。
下の息子には原付免許から(家族の中で唯一の原付免許持ち)、中型二輪へと。
まあ、親としての教育の一環です!?

単に息子たちと一緒にバイクツーリングに行きたかっただけかも・・・・・・・・

よく解からない、能天気な人生が今でも続行中です。

多分これからも変わることなく、デロリアンを夢見て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・